香典返しの由来や起源を調べたら縄文時代まで遡ることになった話

香典返しは本来、物品ではなく、
お礼状を贈ることでした。

お忙しい中、
わざわざ時間を割いて
旅立ちを見送りに来てくれたこと。

その行為に対して、
ありがとうとお礼を伝える。

礼に対して、礼で返す。
文明と共に人間が得た心。
素晴らしいなーと感じます。

それがいつしか、現在の様に
返礼品を贈るスタイルに変わりました。

ところで、
現在のような香典返しは、
いつ頃から始まったのでしょうか?

私は気になりました。

だから、香典返しの由来や
起源を調べてみました

すると何故か、縄文時代まで
遡ることになりました(;´д`)

香典返しの由来は心遣いへの感謝の気持ちにある

今の香典返しと、昔の香典返し
この2つは、分けて考えましょう。

何かしらの物品を贈る現在の形と、
お礼の言葉を認める本来の形は、
別物であると思うからです。

それを踏まえて、
香典返し本来の形は
どの様にして始まったのか?

由来を探ります。

香典返しの意味を知る

香典返し本来の目的は、
お礼です。

忙しい中、葬儀や告別式に駆け付けて下さり、ありがとうございます

ってことを
丁寧に伝えるものです。

つまり、お香典に対しての
お返しではない
←ココ重要)のです。

じゃあ、お香典ってなんなの?

この疑問が浮かびました。
もっともな話です。

お香典の意味を知る

お香典には元々、
扶助の意味があります。

助け合いですね。

大切な稼ぎ手である
一家の主が亡くなったら、
生活が大変になるかもしれません。 

お葬式はお金がかかります。
急な出費が出て大変かもしれません。

そこでお香典です。

これ少ないけど役立ててね…と、
お香典を渡しました。

ここから分かること。

お香典は、
助け合いの気持ちが形になった物だということ。

返すとか、返さないとか、
そんな野暮のことは、
最初から言わない!

困っているときは
お互い様って考え方ですね。

困っているときは…の精神は、
お香典やお見舞金を返す時に
はっきりと分かります。

あなたのご実家にもありませんか?
頂いた香典額が記載されたノート類

頂いた香典袋を開け、
名前と金額をメモしている姿、
見かけたことはありませんか?

ああいう香典帳を作っておき、
お香典を渡す際の参考にするのが、
昔から日本で行われてきた慣習でした。

最近は、香典返しが
浸透し始めた影響からなのか、
その慣習は減ってきているそうです。

香典帳がいいのか
香典返しがいいのか
難しいところだと思います。

ただ、こうした形の繋がり方は、
日本的であると感じます。

香典返しはいつ頃から定着したの?

香典返しの由来が分かったので、
今度は定着し始めたのは、いつ頃なのかについて。

現在の様な香典返しは、
葬儀後に渡される会葬品とは違い、
20年ほど前から始まった慣習です。

その為、日本中で知られている
慣習ではありません。

私自身、記憶を探っても、
家族の誰かが香典返しをもらった記憶はありません。

もちろん、情報量の違い
間違いなくあります。

都会と田舎では、
新しい慣習に対する
温度差がありますので。

ただ田舎であればあるほど、
お香典に対する考え方は、
オーソドックスなもの

現在でも香典帳などは、
どの家庭であっても保有しているはずです。

これはつまり、
お香典という形での扶助が、
脈々と続いてきたことを裏付けるものです。

お香典が文化と言える
状態である
ことが分かります。

香典返しの起源は? 歴史を紐解くことで見えてきた死への考え方

香典返しの始まりがつい最近だとすれば、
お香典自体の始まりいつなのか?

気になるところです。

なぜならそれこそが、
香典返しの起源となるからです。

それを知ろうと
がっつり調べました。

すると、

日本人の死に対する考え方や、
様々な変化が見えてきました。

それを時代ごとに見ていき、
お香典の始まりを見てみましょう。

縄文時代のこと

縄文時代って
あの縄文時代のこと?

そんな声が聞こえてきそうです。

縄文時代と言えば、
紀元前131世紀頃から
紀元前4世紀頃までの時代
を指します。

紀元前131世紀といえば、
1万3000年ほど前のこと

想像が楽しくなっちゃう時代です。

別に文明の終わりとか、
だれそれの支配が終わったとか、
そんな理由で付いた時代名ではありません。

大森貝塚から発掘された土器に
縄痕があり、それが模様となっていたからです。

縄紋が付いた土器を
使っていた時代だったんだーって。

そんなことから、
縄文時代と命名。

この時代、
亡くなった人は
屈葬にて埋葬されました。

屈葬とは、
膝を抱えて座った姿勢。
体操座りを想像しましょう。

その状態で、
横に向きや仰向けにし埋葬。

それが縄文時代では
当たり前の形でした。

なお屈葬で埋葬するには
理由がありました。

まず労力の削減
当時、穴を掘るのも一苦労です。

道具がないのですから。

だから浅くても埋められる
屈葬が選択されました。

では何故、
穴を掘ったのでしょうか?

土葬にしても、
体に砂をかければいいはずなのに。

これには
当時の思想が影響しているようです。

死者が蘇ってくるかもしれない・・・。

ネアンデルタール人は、
食人の文化があったようですが、
縄文人の間で、それはメジャーではないでしょう。

きっと縄文人の発想として、
動物は食べて、命を終わらせるとあるはず。

であれば、食べていない人間は、
生き返るかも?
 と考えたとして、
何ら不思議なことはありませんよね?

心停止の意味なんて知りませんよ。
科学ではなく、本能で感じたのでしょう。

だから穴を掘って埋める

しかも、石を抱かせ、
埋葬した遺跡もあった
とか。

縄文時代の終わり頃。

きちんと統治者がいて、
コミュニティーがいくつもあった頃。

大陸中国との国交も行われ、
ここで伸展葬の文化が流れてきました。

その頃、一部の特権階級は、
伸展葬で埋葬されていたようです。

縄文時代のことなんで、
あくまでも空想です。

色々と調べて、
これは偉い人だ!って思っても
まったく大した人物ではない可能性があります。

縄文人のいたずらって
可能性もあります。

しかしまー
縄文時代、伸展葬が偉い人を
埋葬する方法だったのは確かでしょう。

なぜならば、一つ時代が進んだ、
弥生時代になると伸展葬が一般的になったので。

弥生時代のこと

弥生時代は、
紀元前4世紀頃から、
3世紀頃まで
続いた時代です。

最近では、紀元前10世紀頃には、
すでに弥生文化が始まっていたんじゃ?

と言う説が有力になっています。

弥生時代の特徴は、
水稲農耕が確立されたこと。

また弥生土器
使われ始めたことです。

さらに邪馬台国の卑弥呼登場や、
大陸中国と交易を始めました。

志賀島の金印なんて
大学受験にも出るんじゃないですか?

さてこの頃の埋葬方法は、
伸展葬であり、徐々にですが、
お墓の概念が見え始めた時代です。

死者は生き返らない事実が
浸透した為でしょう。

また縄文時代は狩猟のため、
移動して生活する人が大半でした。

一方、弥生の頃は、
一箇所に定住する人も増えた為、
お墓の概念が生まれ始めたのかもしれません。

また弥生時代には、
船を使った漁業も始まりました。

文明が徐々に発展した弥生時代。

お墓の始まりは、
日本的な死に対する
思想の始まり
なのかもしれません。

古墳時代から飛鳥時代のこと

弥生時代が終わり、
古墳時代が始まります。

古墳時代といえば、
文字通り、古墳です。

前方後円墳
この一言で、すべて解決。

古墳時代は、
3世紀中頃から、
7世紀頃まで
の時代を指します。

明確に誰かが、
古墳時代と決めた物ではありません。

後に、大きな古墳が
作られ始めた時代ってことで命名
されました。

また古墳時代は、
飛鳥時代の始まりと被ります。

飛鳥時代は、
592年から710年までと、
明確に始まった時期が分かっています。

この頃になれば、
文字で伝えることが
始まっていたからですね。

古墳時代の終わりは、
西暦646年に発令された
薄葬令の影響が大きい
でしょう。

古墳は大きい物ですから、
それを作るのに、時間や人員が必要です。

薄葬令とは、
この削減を狙ったもの。

なお、古墳に入ったのは、
支配階級の人間でした。

なお、当時の庶民は
墓地に埋葬されていました。

また墓地は、現在のような
区画が何となくあった物とされます。

さらに飛鳥時代の終わり頃には、
道昭や持統天皇が火葬された
記録があります。

奈良時代のこと

奈良にある平城京が、
都として制定された時代

期間としては短く、
平安京に都が移るまで、
わずか84年間を表します。

西暦にして、710年から
794年まで
です。

この時代、お墓ないし、墓地は、
すでに確立されたものでした。

しかし平城京内に、
墓地が設けられることはなく、
敷地外にお墓を作る習わしでした。

ここには、特権階級による
優遇はなかった
とされます。

平安時代のこと

短い奈良時代が終わり、
平安時代に入ります。

まだ794うぐいす平安京ですね。
今後、変わるかもしれませんが。

さて、平安京といえば、
貴族隆盛の時代といった印象です。

しかし相変わらず、
墓地は都の外にあったそうです。

またこの頃になると、
高野納骨が貴族の間で流行りました。

死後、高野山へ
納骨すること
を意味します。

1085年には、
性信法親王が遺骨を。

1108年には、
堀河天皇が遺髪を納めました。

庶民の間で納骨は無理でも、
高野山参拝が流行ったかもしれません。

鎌倉時代から室町時代のこと

時代は移り変わり
鎌倉時代が始まりました。

鎌倉時代の仏教では、
火葬という考えがより確立され、
平安時代よりも定着したようです。

しかし一般的に広まるには、
火葬に対しての技術不足が大きく、
まだまだ土葬が当たり前の埋葬方法でした。

なおこの土葬という埋葬方法、
つい最近まで行われていました。

火葬と土葬、両墓制から
火葬へと移り変わったのは、
昭和初期になってからのことです。

さて話は戻り、室町時代の中頃、
葬儀に対する大きな事件が起こります。

その事件とは、
1467年に始まった
応仁の乱以降のこと
です。

この、室町時代の中頃の起こった
応仁の乱は、墓地を明確に確立させました。

これ以降、墓地は
寺院の境内に置かれる様になります。

そして戦国の世を経て、
江戸時代へと突入すると、
ついにお香典の文化が芽吹き始めます。

江戸時代のこと

さてついに、
江戸時代へと時代は進みます。

応仁・文明の乱以降、
寺院内に墓地が経ち始めました。

きちんと定まった土地に、
ご遺体を埋葬する様になった訳です。

すると必然的に、
その土地への定住化が進みます。

今まで以上に明確な
コミュニティーが確立され始めました

すると、この流れの中で、
扶助の考え方が育まれだし・・・

ついにお香典が生まれはじめます!

江戸時代に入ると、
葬式が執り行われる様になり、
お通夜は現在とだいぶ近い形に
なりました。

多くの庶民は土葬でしたが、
卒塔婆を立て、お墓の体をなすまでに発展

徐々にではありますが、
現在の形に近づいてきました。

なお士農工商と呼ばれる
身分制度がありましたが、
この辺は葬儀に関係なかったようです。

こうして葬儀やお通夜、
そしてお墓と定番化していき、
御香典がやり取りされる様になりました

もちろん、これは
書物などによる伝聞です。

実際は、もっとドロドロした形で、
お香典が始まったのかもしれません。

お香典をくれなきゃ、
化けて出てやるぞー!
みたいな。

しかしそんな話は聞かないので、
まー扶助的な物なのでしょう。


以上のように、
香典返しの誕生には、
長い歴史があり、理由がありました。

人の死に対する考え方も
時代とともに変化が起こります

日本は古来から、自然崇拝を行う
神道系
が根付いていましたが、
次第に仏教に代わりました。

その後、神仏習合により
カオスな現日本が出来上がりました。

この神道から
仏教に移りゆく
ことは、
死の概念を大きく変えた

そんな気がします。

結論として、
香典返しの由来や
起源を調べると、厳かな気分になります!